仕事がそれほど忙しくなかったので30日と2日を休みにして、29日から5日までぶらぶらと出かけていた。
今回も車でどこまで行けるかやってみる。昨年につづき九州に向かう。九州は地続きになってるからいいw
とりあえず長崎に行ってみる。

長崎半島を一周していたら、はるか沖に端島が見えた。
別名「軍艦島」とはよく言ったもので、荒波が打ちつけていてまさに軍艦が浮いている様に見える。

島原半島に出て雲仙普賢岳を見てきた。
この少し下の方に集落があったそうだが、火砕流が押し寄せたため集団移転して今は原野と化していた。

火砕流からの熱風により破壊された小学校がそのまま残っていた。

島原城下の武家屋敷跡の町並み。
見事な石塀が残っている。
町並み以外にも注意して見てると畑などに、意外と立派な石垣があちこちに見られる。
火山灰質の土壌なので、流失を防ぐために必要だったのかもしれない。

諫早湾の干拓堤防。
堤防の上は道路があって、対岸に渡る近道になってる。
外海側にボラが大量に泳いでいたのに驚いた。

長崎の町の真中に文明堂の本店を見つけた。
ぐぐってみたら「文明堂」と名の付く会社は沢山あって、どれも大本はこの店の出らしい。暖簾分けした支店が今では別々の会社になってしまってる様だ。(なんだかややこしいw)

平和公園をちょっと見てきた。
むかし修学旅行で来たが、ここ以外は長崎の印象はほとんど残ってなかった。
長崎市街は起伏の大きい地形で、ちょうど横須賀に似た感じがする。
この場所に原爆が投下された理由がいまいち分らなかったが、帰ってからぐぐってみてなんとなく分った・・・

佐世保港の造船所をのぞいてきた。
ドックがいくつも並び、巨大なクレーンが動いてる様は壮観だ。

石積みの小さなアーチ橋があった。
九州各地では、この様な石積みの建築物をよく見る。火山が多いから石材が豊富だったのだろうか?
大した技術である。特殊鋼もない昔に、石を加工する事は大変な作業だったのではなかろうか。

佐賀の海岸線沿いで巨大な廃墟を見つけた。
釣りをしている人に聞いたら「石炭の積み出し港の跡だって聞いてる」との事だったが、後でぐぐってみたら、どうやら造船所の跡だったらしい。

帰りは途中まで下道で日本海側を通ってきた。
本州最西端は下関の市街から、ちょっと北に離れた所にあった。
晴れていたが黄沙が酷く、いまいち眺めはよくなかった。
崖っぷちの高い場所だが、そのすぐ下にはゴミ処分施設があって、巨大な埋め立て場になっていた。

島根に出たところで石見銀山に寄ってみようと思ったが、えらい混みかたで挫折した・・・
山中を走り回っていたら、いつの間にか安来の近くまで 来ていた。
たまたま金屋子神社を見つけたので、お参りしてきた。
鉄の神様と聞いていたが、その総本山らしい。結構な山里の奥にあった。
あまり大きくはないが、総欅造りの立派な御社だ。
参道には近くで出土した、たたら製鉄の巨大なケラが展示?してあった。

折角安来に来たので、日立安来の工場を見てきた。
巨大な工場だが、高炉や石炭・鉱石ヤードがないので、製鉄所から比べれば規模は小さい。
すぐ近くの「和鋼博物館」を見学したかったが、すでに閉館時間をすぎていた・・・残念

知らなかったけど、鳥取県ってえらく東西に長い県なんだな・・・
米子に入っても鳥取まで80数kmとか標識にあって驚いたw
砂丘に寄ってみた。だだっ広い砂山が広がり壮観だ。砂山を歩き回っていると、車を止めた駐車場が何処だったか分らなくなって焦ったw

カーナビを見たら、余部橋梁が近かったので見てきた。
旧鉄橋はほとんど撤去されて、新しくコンクリート製の橋に変わっていた。
えらく高くて長い鉄橋を100年近くも使っていたというから驚く。

天橋立の股のぞき発祥の地らしい・・・
結構細い山道の峠にあった。
昔の人は妙な事を考えたもんだなw

舞鶴の海上自衛隊基地が一般公開していたので見学した。
イージス艦や護衛艦が停泊していた。
来年退役する護衛艦が約30年経っているらしいが、外観からは錆なども見られずとても手入れがいいのに感心した。
港の対岸ではイージス艦?が艤装中だった。

舞鶴基地内のレンガ建造物。
かなり古いものなのだろうか。使われている様子はないが、立派な作りの建物だ。
今この様な建物を作ろうと思ったら、コストがかかりすぎて出来ないだろうな。(耐震問題もあってだめか・・・)
この後、福井の敦賀で高速に乗った。北陸道で新潟周りで埼玉に帰ってきた。
海岸線沿いをひたすら辿るのも結構面白い。日本がどういう形をしてるかよく分るw